8月という月

2014年08月30日

 8月も終わろうとしております。8月とういう月はお盆があり、終戦記念日があり、日航機墜落事故のあった月です。しかも今年は大きな災害も発生し多くの死者も出ました。おのずと「死」というテーマがマスコミ等で取り上げられる機会も多く、私の個人的な経験とも重なり色々と考えさせられる1カ月でした。

 現在の日本は高齢化が進み、年間の死亡者数は増加の一途です。2005年108万人だったのが2040年ころには170万人に達すると推計されており、われわれ医療従事者のみならず、国民全体が「死」とういうテーマを真剣に考えていかなければいけない時代になってきました。日本人はともすれば「死」を敬遠しがちな風潮があり、「縁起でもない話!」と言って、忌避します。そう、縁起でもない話ですが、これからの時代「死」がますます我々の身近な話になり、最終的には自分の話になります。人間はどんな高度な医療をもってしても致死率100%なのです。早かれ遅かれ必ず死を迎えなければなりません。そこで大切なのは、いかに死を迎えるか。

 ここ数年の日常診療や、在宅看取りで若輩者である私が感じることは、人生の最終段階を迎えた方でも、まだまだ「お任せ」が多いことです。自分の判断能力がしっかりした時にしっかりした意思表示をしないと、思いもよらない死を迎えてしまいます。胃瘻や中心静脈カテーテルによる高カロリー輸液、人工呼吸器など、現代の高度な医療に「生かされている」人も大勢いるのではないでしょうか。それらを否定しているわけではありません。それらの医療のサポートを受けて生きておられる患者さんも沢山おられます。そうではなくて、患者さんの意に反して「生かされている」人が多いのではないかと思うのです。

 いかに自分らしく、しかも苦痛や痛みを軽減し、人として尊厳をもって最期を迎えるか。それを決めるのは患者さん本人なのです。その先導役が医師の仕事ではないかと思います。次回は、その実践法、「リビングウィル」 についてご紹介したいと思います。